たかびっくる

大体は映画のこと書いてます。










トッキュウジャーが終わっちゃうので。

 

 

 

昨年の2月から放送開始となった烈車戦隊トッキュウジャーが今度の日曜日(2月15日)をもって最終回を迎えます。ということで、トッキュウジャーについて思ったことを色々と残しておきたいと思います。

 

 

 

トッキュウジャーのテーマはイマジネーションです。ここでのイマジネーションというのは想像力=創造力であり、概念的なものです。補足するならば、想像力が物理的なエネルギーとなり主人公たちを成長させていくという寓話性の高い物語で、イマジネーションが強い=肉体的にも強いという設定です。

あまりにも都合のいい展開もこの設定があれば説明がついてしまうように思う方もいるかもしれませんが決してそこに甘んじることのないドラマを成立させていることは見ればわかります。戦隊ものというジャンルやその商業性自体をパロディしてみせたり、コメディ調の話にすることでその設定のご都合さも自己批評してみせるなど機知に富んだアイデアの数々とそれをやってのけたうえで戦隊ものとしてのカタルシスをこなしている構成には毎回楽しまされます。

 

いい年こいた大人が想像力で絶対的な悪(と、前半ではされている悪役たち)に勝利する話なん幼稚というかあまりに理想論すぎると思う方もいるかもしれません。しかし、理想を持つことは全ての原動力に繋がることだと説いているのがこの作品です。

その理想とはただ夢を見る傍観者でいろとかそういうことではなく、理想に対する姿勢を各話で語っているのです。ここで今一度言っておくと、決して説教臭いとか、伝えることに必死な作品などではなく、戦隊ものとしてのカタルシスを成立させるための物語から自然と見出せる作りになっている作品です。

そして物語も後半に突入するにつれなぜこの主人公たちを使ってイマジネーションの必要性を説く物語になっているのかが判明していきますが、それはネタバレなので伏せておきます。

 

 

 

僕が最も好きなエピソードが《トカッチ、夕焼けに死す》です。メンバーの中でも非力でドンくさくて臆病でパッとしない見た目のトカッチが、イマジネーションが弱くそれ自体に必要性を感じない小生意気なガキに、イマジネーションの必要性とそれに対する姿勢を説きます。「イマジネーションだけじゃ何もなさないから、そんなものに意味がない」というガキに対してトカッチは「イマジネーションはお祈りじゃない。信じているだけ、イメージするだけなのはただのお祈りにすぎない」と言い黙々と特訓を続けます。この会話はトッキュウジャーという物語が説いていることの本質のような気がします。しかも負け犬がこのままで終わってたまるかというストーリーなのがまたぐっときます。イマジネーションは努力や仲間など自分がつかみ取ってきた様々な”何か”の上に成り立つものであると説くことは、子供向け番組としても至極真っ当なことを言っているように思います。

 

 

 

イマジネーションが具現化して敵を倒すという身も蓋もない痛快さ、巻き込まれ型の設定ならではの能天気さとあるべき自分にたどりつく成長物語としての切なさ、そして2枚目半のかっこよさからダークヒーローまで幅広い登場人物と彼らの芯を持ちながらも一筋縄ではいかないという人物造形の巧さ。素晴らしい脚本と演出と何と言ってもアクションで1年間とても楽しませていただきました。

 

 

 

最終回が待ちきれないけど、終わってほしくもないっていう揺れ動く心情の中で書いた文なのでかなり鬱陶しい文章になってしまいました。まあただ文才がないの語彙が少ないからなんですが。

以上、乱文失礼いたしました。