ササラモサラな気分で

大体は映画のこと書いてます。










黒澤明=三船敏郎な「用心棒〜椿三十郎〜天国と地獄」

今回は何んとなく思ったことを記してみま〜す。


黒澤明三船敏郎の最も脂の乗っていた時期の作品といっても過言ではないこの三作「用心棒」「椿三十郎」「天国と地獄」。この作品の主人公の立ち位置と行動から黒澤明自身の変化を考察してみます。とてつもなくどうでもいいのでとてつもなく暇なときにでも読んでください


 

まず、黒澤明の作る映画は体制批判や既存メディアへの批判、他に戦争、原爆、武士道などの批判が多いと思います。

そしてその批判を娯楽性高くつくっていました。それを底辺の人間や死に体だった人間が状況を変えるというのが多いです。

まり攻める側、攻めの姿勢で保守を崩すような感じの映画がそれまでの黒澤映画の一面でした。

 そして「用心棒」ですが、これもまた腐れたヤクザと体制側を少し批判し、ただ守りに入っていた人間たちやいろんな状況を素浪人という底辺の人間が変えてしまう映画でした。その姉妹編と呼ばれる「椿三十郎」は{底辺の素浪人、腐れた体制への批判}という点は同類ですが、その体制側の人間達が状況を変えようとする点や外から来たものがその世界を救うのではなく、行動はするがあくまで若侍たちのサーポートとして存在しているという主人公、という点で用心棒と大きく異なっています。

本来黒澤映画で保守となりうるべき若侍たちが保守ではダメだというのに気付き、それを三十郎がサポートするという《一人で攻めるからみんなで守る》に変化しています。これは黒澤明が攻めのみでなく守りに回ろうとしているのが現れ始めていると思います。そしてそして「天国と地獄」でとうとう三船は攻められる側に回り、新しく入ってきた敵(山崎努は黒澤映画初出演)を仲代とかとボコします。完全な守りに入った黒澤明、でも守りで1人は明らかな無力。そこで体制に頼る。

そうして敵から身を守るというなにかこの三作を見ると黒澤明という人の変化が見て取れるような気がします。