たかびっくる

大体は映画のこと書いてます。










《野のなななのか》

 

若輩者を切り捨てないおせっかいいじじいの優しくて恐ろしい叱責。

 

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戦争がもたらす恐ろしさとか、はるかノスタルジイのアップデート版として楽しいとか、大林節の炸裂具合とか、
この作品の魅力はどこまでも奥行きがある事象の数々で、まさに映画というメディアでしか表現できない具合のもの。

言葉でこの作品をどうのこうのいうなんてことは野暮ったくて、ただ3時間近く観るしかこの知見は得られないという最高の娯楽なのか地獄の拷問なのかわからない代物。

 

僕も正直3時間近くスクリーンを見続けることはものすごいしんどかった。

トランスフォーマー/ロストエイジとこの映画の見終わった後の疲労度ってフルマラソンどころじゃない、って言えば少しは伝わるかなっていうぐらいに。

ただこの映画が大好きなのは(ロストエイジも大好きですが)僕がマゾ気質だとかそういう理由だけじゃなくて、ある登場人物がとにかく沁みたから。

頭弱いんじゃないかっていう大人にまみれて、ふらっと小さな旅に出てみたり時々タバコ吸ったりスナフキンみたく気取ってみたりしながらも大人にならざるを得ないっていう残酷な仕組みを知っている虚しさをもってる人がいて。

 

それでもそんな自分が心の底から知りたいと思えることを見つけられたときの感動。そしてその探求もいつかは終わって誰かに受け継がれたり受け継がれなかったりする無常感。これがクライマックスでその他もろもろの事情と一気に押し寄せたときに、この人が発するセリフにもう涙が止まらなかった。たぶんあの時は有楽町一辺が洪水になったかもってぐらいに劇場でぼろ泣きしてた。

 

って感じで、なるべくどういう形でそれが表現されてるのかっていうことを伏せながらこの記事書いてたら、残念な語彙力と文章力のせいでしっちゃかめっちゃかなことになってしまいましたが。野のなななのかのDVDとBDがいつのまにか発売されててうれしくなったので書いちゃいました。

 

くどいですが、とにかくラストの「でも、やるんだよ」精神にあふれたあのセリフとそこに至るまでが最高すぎるんです。

 

 

 

《龍三と七人の子分たち》

 

 

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アウトレイジビヨンド》以来約2年半ぶりの北野映画ということで観てきました。

 

映画の感想に入る前に、僕の考える初期北野映画の変遷をとそれを踏まえた《龍三と七人の子分たち》を観る前の気持ちをざっくりと残しておきたいと思います。

北野映画を製作順に追ってみると、それぞれの映画が単体として観ただけでは発見できないおもしろさがあったりします。常に前作を踏まえた映画作りをしている映画作家は珍しくはないですが、作品を定期的に作り続けているということもあって、特にわかりやすくその姿勢が見えてきます。

例えば《その男、凶暴につき》では他人の脚本を自分色に染め上げる作業に終始しているというか、純粋な北野映画というよりも元々存在している物語のたけし流アレンジといったものだと今となっては思えます。これは次作である《3-4x10月》を見ると、監督の考える「暴力」を映画的に表現すると筋の通った物語や大衆のための娯楽要素は要らないものになります(ぼく的には北野映画第一号はこの《3-4x10月》だとも思えます)。北野映画的なバイオレンス映画の姿勢を打ち出した後は《あの夏、いちばん静かな海》でどこまでも純粋な「映画」を目指し、《ソナチネ》では映画的で且つ純粋な暴力性を描きその上自身の自殺願望ともいえる諦観さの色を濃くすることで監督自身の心理に最も近づいた作品になっています。

そして、北野映画濃度が100%を振り切ったような《ソナチネ》の次に撮っているのが、どこまでも愛おしい失敗作でありそれゆえに大傑作な《みんな~やってるか》です。前作から180度振り切っても北野映画、というよりは予告編にも使われているようにビートたけし映画として見事に成立しているためにこの路線はテレビとも映画ともつかない異物であると思います。北野映画的な笑いの要素をコメディ路線に入れると、どの媒体を経由すればこれが笑いとして成り立つのかわからない凄まじいものとなっています。観客を無視したこのコメディ映画についてもいつか記事にしたいぐらい言いたいことがあるんですが、意図せずすべっているとはどうしても思えない怪作でした。

つまり、たけしは題材と自身の性質やアプローチの相性が抜群な作品を撮った後にはそこから振り切った作品を作ってくる天邪鬼な人って感じの印象です。

座頭市のようなジャンルものとしての娯楽大作で成功を収めたあとも《アトレイジ》で復活を遂げるまでの謎な3本の映画を残してます。低迷期とは言いたくないですが《TAKESHIS'》と《監督ばんざい》は監督自身の迷いが感じられます。ですが《アキレスと亀》のラストでは、監督自身が何かと折り合いをつけたというか、作品制作の姿勢として重要な何かを掴めたという余韻を残していると《アウトレイジ》を経た今では言えることだと思います。

アウトレイジ》2部作ではとうとう真正面からジャンル映画に向き合い、娯楽作品を作る自分を確立し、100%北野映画であって娯楽作品として楽しめる作品になったと思います。

ですが、上に述べたように揺り戻しの激しい北野監督であるため《アウトレイジ》の路線を突きつめた後には必ず予想できない代物が出てくることは明らかです。《アウトレイジ》で完結できなかったことを正統な続編で完結させているし、昔取った杵柄を振り回し原点回帰を謳うような真似をするとは思えません。となるとまた迷うのか、それともまた自分に合った新しい題材を持ってくるのか。ボクシングもチャンバラもノスタルジーもジュブナイルも恋愛も題材と本人の相性がいいものは全て使い切っているし、ヤクザ者に対するアプローチも一端やりきってしまったし。いったいどうなってしまうのかと思っていた矢先、今度の映画はコメディを打ち出したヤクザものという一報を耳にしました。正直愕然としてしまったことを覚えています。それってネタ切れを言いふらしてるもんじゃないのと。自分の映画の大衆に知られている部分をコンテンツ化してぶち込んだだけの陳腐なものになっちゃうんじゃないのと。コメディ一辺倒の手法は懲りたんじゃないのと。そんな不安を抱えながら観てきました。

 

 

 

 

 

今まで心配してた自分に金属バット見舞ってやりたいぐらいの傑作でした。なめててごめんなさいです。

今回はまさかまさかの《みんな~やってるか》的アプローチなコメディ。というよりも「たけし映画としての純コメディ映画」を観ることが出来るなんて!という喜びがデカイです。それに加えて、たけしのコメディ映画なのに娯楽映画として成り立っている驚きがありました。北野映画、そしてビートたけし監督の映画という観点から観ても傑作であることは間違いないです。そして娯楽映画・大衆向け映画としてのクオリティが高いという、まさに《アウトレイジ》シリーズ以降のたけし映画でした。

 

たけしの映画の笑いとは「緊張と緩和」「第三者から見る悲劇」に尽きると思いますが。それを様々なパターンで繰り返し、一本筋の通った物語をあえて設定しないことで笑うポイントに集中出来ます。これをデビュー以来培ってきた技法と、それに応えられる役者をもってすると興味の持続に繋がるのは職人技の域です。これがコントやTVドラマと違い映画として成り立っているのは、各エピソードから物語が展開される雰囲気を想起させておいて飛躍した顛末へ急ハンドルを切っているからだと思います。飛躍した展開ではあるもののそれ自体が登場人物たちの関係性やバックボーンを説明する役割を同時に果たしていて、笑いの質としてはたけしの面白い話を聞いている感覚です。

 

やはりコメディ映画は笑いがあって初めて価値が出るもの。そこにたけしらしさを乗せることとは即ちたけしのお笑い的な小話のリズム感覚で表現すること。セリフや所作、全てが即発的な笑いのための装置として働きつつもその後の展開への説明たり得ているのはまさしく北野武ではなく”ビートたけし”と映画の相性が初めてあったと言えると思います。細かいところでは辰巳琢郎が持つ独特の安っぽさを最大限に生かしていたり、半グレの連中の身なりが明らかにエグザイル風であるなどとてもよかったです。仮面ライダーフォーゼの子があれだけのベテランを前にして彼女らしい芝居と役柄に合った芝居を両立させていたことはうれしくなりました。言わずもがなですが藤竜也近藤正臣をはじめとしたじじい共の色気と滑稽さが共存した格好よさは独特ながらも安定した大ベテランならではの格の違う演技合戦でした。そしてその格好よさにカウンターを入れ続ける演出の妙が実にビートたけしらしい笑いの練りだし方でとにかく楽しいかったです。メインの登場人物が全てたけし的な言い回しなのは今まで通りですが、重要なセリフ以外でもこのしゃべり方というのはなんか新鮮でした。たけしが自ら幕引きをつとめるのはメタ的にも面白かったです。

 

もちろん娯楽映画路線にしたがゆえに目立ってしまう雑さや欠点も多々見られました。いくらなんでもヨボヨボすぎる老人に元ヤクザというだけでビビりすぎだとか、品川徹にあの衣装は滑稽さしか出せなくて可哀そうとか。クライマックスは《スーパーの女》みたいなことやってましたが、もう少しじじいと若者の対決ならではのアイデアがあればなあと。あと元ヤクザという設定が記号としての扱いに終始していることは最後まで気になりました。特攻隊の件とか取ってつけたような姿勢を感じて、クライマックスに持ってくるとテンポ悪くなってもたつくし。幕切れは相変わらず見事な切れ味なのですが、何か中途半端なクライマックスのあとにあれだと少し肩すかしを喰ったように感じるのは、この映画に求めているものが違うからなんでしょうか。

 

でもまあ、映画館はご老人ばかりで平日の14時だというのに結構混んでました。そして笑いはクスクスからドッカンドッカンまで絶えず起こっていました。僕も右翼演説関連のシーンは笑いっぱなしで、「ああ、私は共産党に入りたい」とか色々アウトなことをしれっと入れられて笑わないわけないです。そこに悪乗りするじじいたちの老害っぷりも相まって爆笑でした。老害老害として描くことで清々しく笑えたのかもしれません。死体ギャグの不謹慎っぷりはたけしじゃないと出来ない域のものでした。不謹慎と分かりつつも不快にならないバランスはベテラン芸人ならではのものでした。そして即物的な笑いの連鎖に映画的な仕掛けを組み込むのはベテラン芸人でかつ巨匠であるこの人にしかなし得ない技だと思います。

 

迷って開き直って、その路線を熟成させて、その勢いで振り切って見せた北野監督の次回作は《みんな~やってるか》の後の《キッズリターン》になるんでしょうか。同じ轍を決して踏まない監督の次回作が《TAKESHIS'》や《BROTHER》のような出来になるとは思えません。「ヤクザのなかのコメディ」から「コメディのなかでのヤクザ」へと変換することが上手くいったのだから次回作では・・・と考えると期待が膨らみます。逆に期待すればするほど良くも悪くも裏切ってくれることも十分あり得るので、今最も次回作が気になる監督は北野武で決まりなんじゃないでしょうか。

 

以上、長文&乱文失礼しました。

また、ここまで読んでくださりありがとうございました。