ササラモサラな気分

大体は映画のこと書いてます。










下書き

アイドル映画

今見なければ資料的価値でしかなくなってしまう

メタ的な視点があったとしてもひどいことに変わりない

物語の弱さは当人たちと宇う号していると興味深くはある、しかしそうなっていない時は

4編目は流石の身体能力

太田監督のコメディセンスは当たり前に感じるほど凄い。北の映画を意識するラストはかわいい

セットをぐるぐる回っているだけのはずなのにあの多幸感

好感度ではなく没入度がモノを言うタイプ

変色ギャルやポールダンサーっていう方向性は違えどバイブスで魅了する表現の圧が押し寄せてくることで乗らざるを得ない上にその中でもひときわ輝いてしまう主役3人

せっかくの芸達者を生かし切れていないところは粗削りというより積み込み不足でいささか残念

勿論ありかなしかで言えば大有り

思えば最初から祭りだった

太田監督作と園監督作がリンクしているのはカーボーイリスナー的に最高

歌喰いはわきが甘い

園監督流職人仕事はやっつけとも思えなくもない

太田監督作はスタンダードな分粗が目立つ

15時17分、パリ行き

 

 

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ドラマにおいて伝統的とも(呪縛的とも)いえるクライマックスに向けて展開される構成をそのままに、クライマックスであろう部分に感情の高まりを集約せずに映画として成り立たせる実験めいた試みを試行錯誤しているイーストウッドの一つの到達点だと思います。

 

母への気持ちであったり、境遇を共にする友人との出会いであったり、マチズモに憧れたり。

列車内での事件から遡ると、全てがありきたりで些細なことと思える出来事でも、そのすべてが伏線でありかけがえのない時間だと思えてしまいます。

そんな人生に対しての評価軸を実話から抽出しつつも事実を歪めず映画にするために「日常もの」を基盤とした作りには、アイデアと具現化する力量にあっぱれとしか言いようがないです。そしてその「日常もの」であることが、本人が演じることの必要性を呼び寄せているという点にこの映画の魅力があると思います。

 

米軍パートも観光パートも個人的には知らないことばかりで興味深いのですが、

彼らの思い出の追体験を、本人が演じることで観客には到底分かち合えない特別な情感や愛着といった情感がにじみ出ていると思うんです。

 

「トレーニングきつかったけどやっといてよかったなあ」とか「ナンパしたときはこんなだったなあ」とか。そういったその後の出来事を知った上で過去を思い出す彼らの表現がこの映画を「美談の再現」では収まらないコンパクトで重厚感ある「人生を肯定することへの帰結」に昇華させていると思います。

 

また「この時の決断があの事件の解決に向かうことになる」という造りは、ほのかにサスペンスとして機能していて、やはり独特の緊張感の持たせ方を機能させる巨匠たる芸当をさらりと見せてくれる辺りさすがでした。

 

キネ旬じゃないですけど、イーストウッドすげええええとなってしまいます。

それと、賛否両論というか、つまらないとか退屈さこそがいいとかの「どうなのこれ?」的な意見を聞いたうえで観た者として「斬新でいいじゃん!」という感想なんですけどね。

 

以上です。